明日で一歳

ここ最近、予定を詰め込みすぎて、ひーひー。
一昨日は美容院へ、昨日は職場の式典へ、今日は夫の実家へ、明日は両家集まり温泉で誕生日会、25日は小児科でアレルギー検査、26日は友人宅訪問&写真撮影、27日はベビーマッサージ。うーん、大変。そして、こんなに予定を詰めていると、家の中はワヤで、食材も食べきれず、反省です。とはいえ、わが子にとってはそれなりに楽しい毎日?になるかな。

我が子も、明日で一歳。早いもんだな…。去年の今頃は、家で洗濯物を干していたな。夫が泊まり勤務で不在、予定日がのびていたこともあり、私は実家に泊まりに行きまして、風呂に入って、ゆっくりしていたら、しくしくとお腹が痛くなってきた。で、10時くらいに病院へ。これが陣痛なのかどうか、わからなかったけれど、途中よったコンビニでは歩けないくらいに。。。たぶんこれが陣痛なのだろう。救急に行って、みてもらったら、まだ子宮口が開いていませんとのこと。え〜、こんなに痛いのに?家に戻ってもいいですがどうしますかとのこと。入院させてくださいと伝え、一晩、陣痛に耐えました。で、朝、見てもらってもまだまだとのこと。子宮口がひらかず結構時間がかかった友達の話を聞いていたので、こんなももんなんだろうなと思いつつも、陣痛がきつい…。
そんな中、優しげな顔をした看護師さんが、きて、「あの、まだ先のことになりますが、お祝い御膳が入院の4日目に出ますけど、てんぷら、ステーキ、刺身から選べますが、どうしますか?」と。は?こんなに苦しんでいるときに、それを聞くのか!!もしも、無事に生まれなかったらどうするんだ!!とちょっと怒りにも似た気持ちをもちながらも、「ステーキで」とオーダー(笑)そんなことを思っている間も、陣痛はひどくなっていくわけで、間隔も短くなってきたので、助産師さんをよび、いざ分娩台へ。確か11時ころだったな。勤務明けの夫も間に合い、立ち会ってくれました。しかし、夫が来たとたんなんか陣痛が楽になったんだよね。私の中では、私自身が陣痛になれたんだろうと思ったけれど、それを先生に伝えたら、それは良くないとのこと。いわゆる微弱陣痛がずっと続いていて、なかなか出てこれないでいるのこと。このままでいると、私の体力も赤ちゃんの体力も消耗してしまうので、陣痛を促進する必要があるとのこと。それからが一気に大変でした。陣痛促進剤、誘発剤、人口被膜などをし、しかしなかなか進まず、最後には帝王切開の準備もされる始末。途中、記憶がないのですが、今思うとあれは気を失っていたのでしょうね。そんな横で、なんとなんとですよ!!目を開けると、旦那さんが寝ているではありませんか!!「え、ちょっと、あんた今、ねてたでしょ!!」と聞くと「だって、昨日、勤務で寝てないんだもん」とのこと。あたしだって陣痛で寝ていないよ!!とがっつりと怒ってやりました。そんなこんなで陣痛は続き、いよいよ、促進剤がきき、バズーカ砲のように、がんがんと陣痛が。しかし、外に出た夫が帰ってこない…。おそらく、病室で寝ているのではないかと。戻ってきた夫に問いただすと「だって、お義母さんが休んだほうが良いよというんだもん」と。なぬー私の母も共謀か。あまりに腹が立ったので、夫の手をわざと爪が経つようににぎってやり、爪痕をがっつりとつけてあげました。
産む体制になってからは非常に早かった。陣痛の波が来た時に、どのように力を外にぬかせるか、わかってくると、なんかすごーくたのしい。おーきたきた、よっしゃ、抜いたーみたいな(笑)。次の波、来い!!みたいな。産む体制になってからも、すごーく冷静に、「まもなく(陣痛の波が)きます」って、先生に説明をして、いきんでいた。そんな私をみて、助産師さんたちがいきみ方がうまいと絶賛。苦しんでいる私に対し、「母親学級とかきちんとうけていたんですか?」と質問をしてきたり。で、そんなこんなで17時6分に3902グラムの元気な男の子がすっぽんと生まれました。生まれたとたん、先生たちが「おっきー」と。出てきた我が子をみても、新生児なんて、この子くらいしか見ていないから、でかいのかでかくないのかよくわからない。よく、感動で涙がとまらないとかいうけれど、こんなものがお腹の中にはいっていたんだなあという非常にドライな感覚。でも、手が大きな子供だな〜とおもったなあ。大きな子の割に、泣き声が「ふえーん」って、蚊のような声。この子は大丈夫だろうかと心配になったなあ。子供を産むと気持ちがハイになるっていうけれど、縫ってもらっている最中に、処置をしているお医者さんに、いやー子供を産むって大変ですね!!でも、こういうところに携われる仕事っていい仕事ですねみたいなことを話していた記憶が(笑)今思うと恥ずかしいね。
産んでから、1時間くらいだったかな?分娩台の上にいなければいけなくって、すごーく暇だったことを覚えている。部屋に戻るときに、車いすを使いますか?と言われたけれど、大丈夫な感じがしたので、歩けますと言ったら、「出血の量が多かったので、車いすをお勧めします」とのこと。で、やっとか我が子を家族に会えたんだけど、わが母が私を見たとたん、大泣きで。どうやら、私の出産は難産だったらしく、家族への説明が結構、すごかったらしい。私には説明がなかったんだけど(心配させないための配慮だと思われる)、わが子は背面児かつ逆回転の子で、ふつうは頭から子宮口にはいってくるんだけど、顎からはいってきて、かつ廻旋が逆だったらしい。ま、そんなのを分娩台にいるときに説明されてもなんともならないので、あとで知ってよかったと思う。そんなこともあり、母は、出産を経験しているだけに、自分の子がもしかしたら…とまで思ったらしい。そんなこととはつゆ知らず、えへらえへらとした顔で出てきた私。心配をしたんだと怒られた…。今になって思うけれど、やっぱり出産って大変だよね。私は大学病院で生んだんだけど、産む前は、個人病院で生みたいと思っていたんだよね。でも、個人病院で分娩していたらおそらく途中で、救急車で大きな病院に搬送されていたと思う。それを考えると、大きな病院で生んでよかったのかもしれないな。
我が子が大きいと、みんなが言うけれど、それを確信したのは次の日。新生児室にわが子を迎えに行ったところ、並んでいる他の新生児の顔の大きさを比べると一回り、二回りくらい違うんだよね。あーこりゃあ、大変な出産だったんだなあと認識。いろいろとお世話してくれた助産師さんが私に対して、「何かスポーツをしていましたか?今回の出産は、こあじさんだから耐えられたんだと思います。他の方だと無理だと思います」と言われた。やっぱり大変だったんだな。確かに、産んでからもとっても元気。産んだ次の日に、母親学級で一緒だった人に洗面台であったから、昨日産んだんですといったら、「え?昨日?」みたいにビビられた。本当に、元気だったんだよね。
個室がいっぱいで大部屋になったんだけど、後々大部屋でよかったなと思った。いろんな赤ちゃんがいて、いろんな子育ての大変さを知ることができたので。私の子は大きく生まれたこともあって、おっぱいを最初からぐびぐびのんでくれ、大変な思いはしなかったんだよね。でも、となりのベッドの子は、飲んでくれなくって、そのたびに、その子のお母さんは、ナースコールで助産師さんをよんでいて、最初は、なんか面倒な人かしら?とおもっていたんだけど、すごーく必死なんだよね。それを見ていて、子育てって、お母さんの性格とその子の性格と、お互いの相互作用によって成り立つもんなんだな〜と改めて感じさせられて、まあ、私みたいな性格と、子の子みたいな性格とで成り立つ子育ては、どんなもんなんだろうなということをしげしげと考えるきかっけをもらえたんだよね。

と、我が子が寝ているうちに、忘れないようにと思い、出産体験記を書きました。こんなことをせずに、これから大舘に行く準備をしないといけないんだけど〜。それにしても、去年の今日の夜に陣痛が始まったんだよなあ…。あらためて、思うとなんか懐かしいね。さ、準備準備。