「幸福」とはなんぞや、「ら」抜き言葉とは何ぞや


さて、昨日の授業では(三大かっこいい先生の一番目に紹介した先生の授業)、


「幸福」といって思い浮かぶことを二つ書いてください。
社会学的に論じてください・・・社会事象を挙げてください・・・


というテーマ。
自己紹介を兼ねて、発表すると言うものでした。


私は、「食べられる」「眠れる」。
一見、主観的な幸せに見えるけれども、これらが可能となる条件としては
制度、環境といったマクロ的なものも含め、ミクロ的な状況が整えられているか、
また、資源にありつけるかどうかといった条件も必要なわけで。
そんなこんなで、上の二つを書きました。


皆さんは、なんて書きますか。
この先生の授業はいつもこんな感じで、
その人の思いを広げてくれるので、
とても参考なります。
ありがたや。


ところで、ここで、みんなの話題となったことは、何故か「ら」抜き言葉。
「ら」抜き言葉とは、例えば「食べられる」を「食べれる」ということなどで、
正しいのは「食べられる」。
でも、最近の人たちは「食べれる」を使うようになっておる。
テレビ等で話題にあがってますよね。
少し前のブームのようにも思われますが。


私も、「ら」抜きで使ってしまうのだけど、
留学生が、そういった点をとても注意して発言しているのをみて、
私も、間違った日本語をしゃべっちゃいけないな〜と思い、気にするようになりました。


そのせいもあり、昨日の授業で「眠れる」を「眠られる」と書いたわけです。
そこで、みんなの?マークが発生。
実は私も良く分からず、使ってました。


ところで、皆さん、何に「ら」が入って、「ら」が入らないか知ってますか?


そこにいたメンバーは、日本人5名、韓国人1名。
日本人のうち、2人が日本語教師経験者。
彼ら二人も忘れていたが、日本語教師経験を思い出し、
そして、韓国人が日本語の授業の内容を思い出しつつ、教えてくれました。


「ら」が入るであろう前の文字が「e」で終わる場合、「ら」が入るんだそうな。


「食べ」の「べ」は「e」の音でしょ。
でも「ねむ」の「む」は「u」でしょ。
勿論例外もあるけれど、このようにして活用しているそうな。


少しばかり、賢くなったようなならないような。
日本語はほんと奥が深い。
留学生は覚えるのが大変だ。


言葉の構造って、覚えるのが楽しいかも。
少しばかりそう思いました。


しゃべれればそれでいい、というのも勿論だけれど、
自国の言葉を理解し、それで外国の人々接していくことで、
国際交流もはかれるのでは。


などと、どこぞの小論文とかで求められている、
道徳チック、かつ表面的な雰囲気でしめてみたりして。