藤里の母さん

元気がないときややる気がないときは、藤里の母さんに頼る。私が卒論でお世話になった藤里町にいる二人の女性だ。初めて自分で設計した調査の元、黙々と聞き取り調査を進める中で出会ったのが、この二人。はじめのうちは、煙たがられていた私だが、だんだんと打ち解け始め、今では「バッチ(末っ子)」といわれるまでに昇格した。
今日、その二人に久しぶりに電話をしたところ、相変わらず母さんとしての対応をしてくれて、泣けてくるな…。
彼女ら二人は、とても尊敬できる生き方をしている。秋田の藤里という田舎町で、自分たちの生活をよりよいものにしようとこつこつと努力をしている。くだらない見栄や権威によるものではなく、自分たちの日常生活に真摯に向き合った結果、生まれてきた行動だ。自分が今できることを、しっかりとこなす。
一生懸命頑張っても結果が伴わないものもある。しかし、それがあるからこそ抑止されているものもある。目に見える活動や行動だけが評価されるこの時代だが、そんな中で彼女たちの生き方に学ぶべき点は多々ある。彼女たちの名前は、歴史上残るものではないかもしれないが、地域を歩いて調査をしていると、長い歴史を支えているのは、こういった「名前も残らない人たちの行動」「名前も残らない行動」なんだろうなと思う。若い頃は、誰もが背伸びをして、自分以上のものを自分にも相手の評価にももとめるものである。それが、若さのいい点でもあり悪い点であもる。そんな時代を経て、私も、彼女たちのように、名声や評価を期待せず、自分の日常生活と向き合い、真摯に生きる女性になりたいものだと、やっと心から思えるようになった今日この頃。
こんなことを考えると、自分にとって卒論は、本当に人生に影響を与えたものだったな〜と感じる。卒論を取り組んだがために、大学院に入院するという選択をしてしまい(笑)、そこで見えてきた自分の限界と自分の立ち位置が今の自分を支えている。そう感じさせてくれているのは、大学院で出会った悪友をはじめ、全国に散らばる仲間たちであり、卒論から支えてくれている秋田の人たちである。卒論に出会わせてくれた神様に感謝だな。あのときの気持ちに戻り、研究に取り組んで生きたい。そう思った今日の午前でした。