読書

今日は、とてつもなく眠くて、死にそうでした…。夜になると少しは眠さも落ち着き、読書。最近、本にはまってます。今日読んだ本は、これ。
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ま、衝撃的なタイトルといえば、そうですねってかんじですね。日本で行われている海外への養子斡旋の話。読売新聞で2004年10月、2005年5月に連載されていた内容+記事に載せることの出来なかったものをまとめたもの。

海外への養子斡旋。あってもおかしくない話ではあるが、やはり、単純に日本でも…ってところに、それなりの驚きはあった。

以前、中国旅行をした際の話。観光地に行くと、必ずといっていいほど乳幼児を抱っこしている欧米系の集団に出会った。私は、「まだ子供が小さいのに、家族みんなで海外旅行か…」などとうらやましく思い見ていた。だが、どこにいっても、彼らのような集団に出会う。だんだん不思議に思ってきて、注意してみてみると、彼らの髪は金髪で、目は青や茶なのに、彼らが抱っこしている子供の髪は黒く、目は黒いのだ。彼らから目を離さないでいる私の様子に気がついたガイドさんが「あれは養子縁組のツアーだよ」と教えてくれた。

中国では一人っ子政策が行われている。違反すると、罰金を支払わなくてはならない。その結果、各地で戸籍のない子供〈黒核子〉が増え、孤児も増えた。その受け皿が、海外養子縁組である。

かわいそうだとか、ショックだとか、そんなことはあまり思わなかったな…。合理的という言い方はおかしいけれど、自国で受け皿がないのであれば、時代は、地球規模で進んでいるのだから、それは考えられうる帰結だと、そんな風におもったかな。第一、何もするつもりのない私が、「かわいそう」などと思うことのほうが、おこがましいというかなんというか、軽薄であると思っていたと思う。その気持ちは、今も変わらない。

日本の場合の海外養子縁組の理由は、中国のものとは違う。理由の多くが、10代の望まない妊娠、出産。その受け皿としての海外養子縁組なのだ。経済的に育てられないというのもひとつの理由ではあるが、とはいっても、発展途上国に比べれば、そんなことは本当の理由ではなく、日本の場合は、未成年の親を認めない、世間体が悪いという理由が大きい。

戸籍に、「産んだ」という事実を残さないために、産まれてすぐ海外養子の手続きがとられる。この手続きの多くは、産婦人科と連携している民間団体が行う。団体の活動においては、地方自治体への届出の必要があるが、法の規制は緩い。ガイドラインがない中、それぞれの団体の基準で海外への斡旋が進められる。法の規制が緩いため、問題が問題として浮上しない仕組みにある。

いろんな内容が書かれていたけれど、ま、要するに、法的整備が必要ですよ、って言う内容にとどまっていたかな?内容としては、ちょっと物足りないかな…。確信をついているようで、ついていないみたいな感じ。赤ちゃんポストとの話と絡んで、今後、この話は展開されうる余地があるだろうとは思うけど、興味のある方、読んでみて。


私が読んで思った感想。

世間体を気にするという理由が挙げられる背景には、親から子への、エゴの連鎖みたいなもんがあるんだろうなっておもった。10代の子供に妊娠を告げられた親は、自分が描いていた将来像が揺らいでしまう。わが子が高校を卒業した後は、大学に行って、いい職について、いい結婚して…、そして自分はいい老後?みたいな。もしも、わが子がこの年で子供を産んだら、その夢はかなわない。
そして、当事者である10代の妊婦にしても、大学に行くのが当たり前というような環境で育ってきたのならば、妊娠という事実を受け入れることはできないだろう。
もちろん、子供が子供を産んで育てていけるのだろうか、という親心もあるだろう。でも、そんなことを言うならば、子供が子供を育てていると心配してしまうような「子供」を親は育てるべきではない。人間として生きていく以上は、何かしらの決断を強いられるときが私たちには必ずある。その決断のひとつが妊娠であり、産むことを子供が決意したならば、その決意を尊重してあげるのが親であり、そこに親心を加えたいのであれば、その決断をサポートしてあげるのが親心であると私は思う。中絶を決意した場合も同じである。

なんて、子育てをしたことのない私が言うのは、どうかと思うけど。実際、自分が子育てをするときには、やはりいろんな問題にぶつかるんだろうな…。そうしたら、また見方が変わってくるかな。

最近、周りでベビーラッシュです。子供が生まれたよ、子供が出来たよって話てくれる友達の顔は、とても幸せそう。その話を聞くたびに、私の心の中に大きな花が咲く感じ。とても幸せです。だからなおさら、「そう思える妊娠・出産」と「そう思えない妊娠・出産」。この間には何があるのか、とっても気になります。なんやかやと家を重視するという考えと婚外子を認めないっていう風土は日本にあるけれど、単純にそれだけがこの間を作っているのではないような気がします。

さ、そんなこんなで、ここで紹介した本と並行して読んでいる話は、この本↓。

ルーマニア・マンホール生活者たちの記録

ルーマニア・マンホール生活者たちの記録

ルーマニアのホームレス・ストリートチルドレンの話。チャウシェスク政権時代、国力をあげるため、産めよ増やせよ政策の結果、人口は伸びたものの、計画経済から市場経済への移行がうまく行かず、国民は貧しい生活を強いられた。人々は子供を捨てることによって、自らの生活を維持した。子供たちの受け皿として国は孤児院を建てたが、そこでも十分な食を供給できない。さらに、孤児院の中では、ロマ(ジプシー)への差別がひどく、その差別を逃れ、孤児院を出てきたロマの人々が、マンホールに住み着いた…そこでの生活はいかなるものか…という話。

これは、おもしろい。まだ一章しかよんでないけどね。深く、かなしく、重く、でも、そうせざるを得ない中で、選択肢が少ない中で、人々はどう生きるのか。先が楽しみな本ではあるんだけど、最終章「離別」は、チラッと見たところ、どうやらそんなに明るくはない模様。マンホールが閉じられ、彼らはいずこへ…みたいな内容だ。

これを読めば、赤ちゃんの値段の話とかかわらせて何かが見えてくるかも。今の日本は、選択肢は多いけど、その選択肢をきちんとした基準で選べるだけの力を持った子供を育てる能力がないのではなかろうか、そんな風に二つの本を読み比べながら思っておりました。